由緒

神社創建年不明 古説には、建久年間(一一九〇~九九)創建と伝える。

社名の確認できる物については、尾張二代藩主徳川光友の時代、
公の命により寛文年間(一六六一~七三)に編纂された書物『寛文村々覚書』(尾張国内の村々の現況を調べた物)には、
「六所大明神、社内六反歩、前々除、 瀬古村祢宜吉太夫持分」とあり、さらに樋口好古が寛政四年(一七九二)から 文政五年(一八二二)にわたり尾張領内の実情を調査見聞してまとめた書物
『尾張徇行記』矢田村の項には、「六所大明神、視界内六反、前々除、六社ハ北武士郭ノ北、林中ニアリ」と書かれています。    境内地については、昭和四十二年十一月の社殿御造営をもって現在の形に至る。